自分史 幼少期~中学校

1986年4月7日、兵庫県芦屋市生まれ。
3歳の頃に神戸市のポートアイランドという島に引越し、それから22歳まで神戸で育つ。
(ホザナ幼稚園~神戸市立港島小学校~神戸市立港島中学校)
優等生だった幼稚園時代
幼少期の記憶は正直言ってあまりないですが、毎朝送迎バスに乗って通うようなお勉強幼稚園に通い、英語、そろばん、算数(たしか割り算までやってた)などを習ってました。
勉強はできた方でしたが、体育と給食がとても苦手だったのを覚えてます。たぶんどちらかというと優等生だったと思うんですが、特に優越感とか、自分はスゴイといた感情は一切なかったような気がします。
何も考えずに毎日を楽しく過ごす。まぁ幼稚園児ってみんなそんなもんですよね。
人は大好きだけど自分のことは大嫌い
小学校に入った頃の僕は、とにかく人が大好きでした。『誰とでもすぐに仲良くなれること』が唯一の特技だと思っていたくらいです。ただ、その一方で自分のことは大嫌いでした。
『自分はダメな人間』
そういった想いがこの頃には既に自分の中にあったように思います。どうしてそんな考えがあったのか、今となってははっきりとした原因はわかりませんが、恐らく当時やっていた習い事に原因があったと思います。
というのも、小学生当時、僕はサッカー・ピアノ・プール・公文式と、4つの習い事をやっていたんですが、これらの習い事のうちサッカー以外は自分からやりたいと言ったわけではなく、気が付けば親にやらされていたものでした。
しかもピアノと公文式に関しては母親が非常にスパルタで、毎日怒られて、毎日泣きながら練習をしていた記憶があります。
そして唯一自分からやりたいと言ったサッカーも、『仲の良い友達がやっていたから…』という理由でした。ですが、僕は元々スポーツが苦手でサッカーも全然できなかったので、いつも周りからバカにされ続けていました。
そんなわけでピアノも公文式もサッカーも本当は大嫌いでした。でも、やらないと怒られる。やらないと友達に嫌われる。だからやらないといけない…でも…うまくできない。
そんな、できない自分のことが本当に嫌でした。そして『自分はダメな人間』だと思うようになっていったんだと思います。
中でもスポーツができない事へのコンプレックスは強かったです。この年代の男子は運動神経の良さで評価が決まると言っても過言ではなかったですからね。
今思うと『周りの評価』で自分の価値が決まると思っていたのかもしれません。
コンプレックスを克服したくて入った野球部
中学へと進学した僕は、ずっとあったスポーツコンプレックスを克服したくて野球部に入りました。元々、運動をする方ではなかったので当然体力も全くなく、1年の頃は練習にすら全然ついていけませんでした。
中学とはいえ、野球部は実力主義の世界です。練習に全然ついていけない僕は、先輩からはバカにされる対象でしかありませんでした。自信をつけたくて入った野球部だったのに、逆に最初は自信をなくしたんじゃないかと思います(笑)
ですが、同級生のチームメイトは違いました。ほとんどが少年野球経験者だったので、未経験の僕と比べると既に天地程の実力差があったのですが、誰一人として僕を下手くそ扱いする奴はいませんでした。
時に厳しく、時に優しく、でも、あくまで平等の仲間。そんなチームメイトの僕への扱いが本当にうれしかった。そんな仲間がいたからこそ3年間頑張れたと思っています。
そして部活を引退する頃には無事体力もつき、レギュラーにこそなれませんでしたが、スポーツは人並み程度にできるほどまでに成長することができたんです。
今にも繋がる平等への想い
そしてこの時の経験から、
「自分は絶対にできない人をバカにしない」
という想いが自分の中に芽生えたように思います。もしかしたらこの時の想いが今の自分にも少しは影響を与えているのかもしれません。
▼続きはコチラ
【自分史 高校~大学】